桑田の野望
–初めて「kuwataの野望」というブログタイトルを見た時、なにか大きい決断があったのかなと想像していたのですが。
歌を本格的にやろうと思う前から周りに「ブログをやれば?」とは言われていました。当時は「歌もそんなに真面目にやるわけじゃないのにブログをやってどうするんだ?」という気持ちはあったんですけど。でも歌を十何年ぶりに、セッションで引っ張られて歌った時、凄い自分の中でイメージがあったんですよ。真っ赤なドレスを着て、お客さんいっぱいのステージにフーって出て行くイメージが。これって何だろう、歌を本格的にやろうとは思っていないのに。
でも多分自分が気付いていない所にあったんでしょうね。その時「野望」っていう言葉がなかなか出てこなくて、「下克上って何だっけ?」とか、そういう、のし上がっていくようなタイトルを付けたいって言って。あ~そうそう野望野望って。(笑)
実はこの野望っていうのは、時間が経ってからは今の自分の夢だったりになっていっているんですけど、当時はまだわからなくて付けてるんですよ。
–じゃあ今の桑田さんの野望って?
来年紅白!2017年に紅白でるんです。
–え?決まってるんですか?
自分で決めてるだけですよ。(笑)
一昨年の夏に自分の中でも色んなことがあって。
両親の具合が悪かったりしたのもあったんですよね。父の具合が悪くなったりして、その介護をしてたりとか、今度は母の具合が悪くなったり。
そのとき母に「私50の時に紅白出るけん。それまで生きとってね」って言って帰ってきたんですよ。その時に言ったのは、言っただけだったんですけど。よくよく考えたらまあ自分がやろうと思ったわけでもなく再活動が始まって、こういう形で色んな事をさせてもらえるくらいになってきて。
でも本当は自分の為じゃなくて、誰かの為に何かが出来るといいなって。最終的に社会貢献が出来るくらいになったらなって。
まずは13歳で東京に出してくれた親にね。
–13歳で!?
そうです。出せないでしょ?
ましてや当時アイドルでデビューが出来るとかっていうのは、本当にこんな田舎からテレビに出る人が出ちゃうの?っていうくらいビックリするような事。ラッキーだったと思うんですよね。だから送り出してくれた父と母の気持ちも、今はわかるじゃないですか。そうしたら何かやっぱり恩返し、親孝行くらいしたいなって気持ちにどんどんなっていって。
それと同時に、出来そうな事をやるんじゃなくて、出来ないかもって思うような事にチャレンジしていく人生の方が楽しいんじゃないかなって思ったんですよね。そう考えるようになったら凄く色んな事が変わっていきました。だから「目指す」とか「決める」とかいう事ってのは本当に大事なんだなって。
それと、紅白っていうのは別に最終地点ではなくて、自分が思い描いている事が実際にどれくらい自分で達成できるかっていうことでもあるんですけど、何もその道筋は無いわけですよ、はっきり言って。「紅白いきたいって言ってる馬鹿なやつ居るし」とかって笑われたりもしたんですけどね。(笑)
だけど、私が思い描いてる事を全部書いているノートがあるんですよ。これからどうしていこうかなとか、どういう事が楽しいかなとか。とにかくキラキラノートみたいなものなんですけど、そこに書いていってる事が去年は凄く現実になっていったんですよね。
という事は、ならなくもないという事。8年前の自分はまた歌うなんて思っていなかったし、絶対歌わないって言っていたのが今やこんな事しちゃってる。想像していない事が起こり得るって事が分かっちゃったわけですよ。こんな事絶対ないって思っている事が、ないとは限らんって事を知ってしまったわけですよね。
そのうえで、どうしたらいいかっていうのは今度は手段なんですけど、宇宙には私が一つの存在だって思って、あたしは何をやったら楽しいのか、嬉しいのかっていう事だけを考えてるんです。そしたらそれが一番近道のような気がして。
17:30~20:30
※カレー、ご飯が無くなり次第、終了とさせて頂く場合があります。
日曜日は不定休
この記事が気に入ったら「いいね!」をして
最新情報をGETしよう!